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【乾電池】 作成者:takeshi
乾電池といえば、時計やリモコン、あらゆる機器に使用されている当たり前のエネルギーですね。私も単3電池と単4電池を買いだめしてストックしております。
今回はそんな乾電池の歴史です。
一番古い電池は?
2000年以上前に作られた「バグダッド電池」と呼ばれる電池で、バグダッド(イラクの首都)郊外のホイヤットラブヤ遺跡いせきから発見された「つぼの電池」です。
この電池は、電池本来の役割を果たしたのではなく金銀の装飾メッキ用に使われていたと考えられています。
作られたきっかけ
イタリアの生物学者ガルバーニがカエルの足を使った実験中に、金属が足にふれると死んだはずのカエルの足が動くことを発見したのがきっかけです。
しかし、その時はまだそれが電池だということには気付いていませんでした。
いつ誰が発明した?
電池の歴史は、今から約210年前の1800年、イタリアの物理学者 ボルタによって発明された「ボルタ電池」から始まったとされています。
電圧の単位「ボルト」は、ボルタの名前をとったものです。
日本に伝わったのは?
1854年(嘉永7年)、アメリカのペリーが日本へやってきた時に、幕府へのおみやげとして電池が伝えられました。
彼が持ってきたのは、ダニエル電池(1836年(天保7年)、ボルタ電池を改良してできた電池)と呼ばれるものでした。
乾電池が発明されたのは?
1888年(明治21年)、ドイツのガスナーは電解液を石膏で固めて持ち歩いてもこぼれない電池を発明しました。この電池は今までの液体電池に対して「乾電池」と呼ばれるようになったのです。
同じころ、日本でも屋井先蔵(1864年〜1927年)が独自の方法で乾電池を作り上げましたが、特許の申請を工面できず、乾電池の発明者として名前を残すことができませんでした。
乾電池と呼ばれるようになったのは?
1800年(寛政12年)、「ボルタ電池」には液体(塩水)が使われていました。1868年(明治元年)、「ルクランシェ電池」には液体のゲル(ゼリーのようなドロッとした液)を使っていました。
1886年(明治18年)、日本の屋井先蔵やい さきぞうやドイツのガスナーがそれぞれ研究し、液体を石膏で固めて持ち歩いてもこぼれない電池を発明しました。
これらの電池は液体の漏もれない「乾いた電池」ということで、「乾電池」と呼ばれるようになったのです。
(電池工業様参照) 0D
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【ジャム】 作成者:yamat
ジャムといえば、パンにつけたりヨーグルトと和えたり、スコーンにつけたり紅茶に溶かしたりなど、色んなものに使いますね。味にも種類が多くあり、実際のところ何種類あるんでしょうか。
私はあまりジャムを食べませんが、皆さんはどうでしょう?
今日はジャムの歴史を調べてみました。
ジャムのはじまり
今から1万~1万5千年前、旧石器時代後期の人類が、みつばちの巣から蜜を取り、蜜を使って果実を煮たことが、現在のジャムの起源であるとされています。
ジャムは、はるか昔から人類とともにあった最古の保存食品なのかもしれません。その後のジャムは、紀元前320年頃、かのアレクサンダー大王が東征したインドで当時貴重だった砂糖を手に入れ、本国に持ち帰り、ジャムを作って珍重したとの記録があります。
ジャムが一般的に広まり始めたのは、さらに時代を下ってから。十字軍がオリエント遠征(1096~1270年)で大量の砂糖を持ち帰ったことがきっかけとなりました。
日本における最初のジャムは、16世紀後半に宣教師によってもたらされたと考えられています。
国内での製造記録は、今から1世紀以上前の明治10年、東京の新宿にあった勧農局でのイチゴジャム試売にはじまります。
その後、明治14年に長野県で缶詰のイチゴジャムが販売されています。
明治38~39年に執筆された、夏目漱石の「吾輩は猫である」の一節には、苦沙弥先生が"おれはジャムは毎日舐めるが・・・"とジャムにふれたくだりがあります。
庶民にはまだまだ一般的ではなかったものの、ジャムが西洋文化の味として、一般に認識され始めた様子がうかがえます。
(アヲハタ様参照) \www\bg\01\{GI
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【そうめんの薬味】 作成者:yamat
そろそろ梅雨明け、そして気温が高くなってきましたね。
暑い日が続くと、食欲は落ちていきます。そんなとき、そうめんはするっと食べられるので、夏といえばそうめん!というイメージですね。
皆さんはそうめんの薬味、何を好んでいますか?私はひき割り納豆を入れるのが好きです。納豆のネバネバがクセになるんですよね。
それでは今回の歴史はこちら
古代
奈良時代にそうめんの元祖「索餅」が誕生しました。
「索餅」とは、もち米の粉をこねて、細くのばして縄のようにねじりあわせたお菓子の一種です。
このころ、そうめんの形や食べ方は、時により場所により変わりましたが、いつの時代も変わらなかったのは、おもてなし料理としての性質です。 客をもてなしたり、主人に献上したり、年中行事のごちそうになったり、そうめんは特別な日の食卓に並ぶ料理でした。
中世
鎌倉時代からそうめん作りが始まりました。
そして、室町時代になると「索麺」や「素麺」の文字が使われるようになりました。
このころからそうめんは、寺院の間食(点心)として広がりました。この時代に現在のそうめんの形、作り方、料理方法がほとんど形成されたと考えられています。
文献にもよく登場するようになりますが、主な舞台は寺院や宮中の宴会などで、まだ庶民が気軽に食べられるものではなかったようです。
~小話~
揖保郡太子町の斑鳩寺に残る寺院記「鵤庄引付」の応永25年(1418年)9月15日の条に「サウメン」の文字が出てきます。これが播州地方で最も古いそうめんの記述です。
約600年も前からこの地でそうめんが食べられていることがわかる貴重な資料です。
7月7日はそうめんの日
平安時代の書物(延喜式)に七夕にそうめんを食べると大病にかからないと書かれ、宮中から一般に普及したと伝えられています。 wwBC