そうめんの薬味 by A.S
2022.06.27
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 そうめんの薬味 作成者:yamat

 そろそろ梅雨明け、そして気温が高くなってきましたね。
 暑い日が続くと、食欲は落ちていきます。そんなとき、そうめんはするっと食べられるので、夏といえばそうめん!というイメージですね。
 皆さんはそうめんの薬味、何を好んでいますか?私はひき割り納豆を入れるのが好きです。納豆のネバネバがクセになるんですよね。

 それでは今回の歴史はこちら

 古代
 奈良時代にそうめんの元祖「索餅」が誕生しました。
 「索餅」とは、もち米の粉をこねて、細くのばして縄のようにねじりあわせたお菓子の一種です。

 このころ、そうめんの形や食べ方は、時により場所により変わりましたが、いつの時代も変わらなかったのは、おもてなし料理としての性質です。 客をもてなしたり、主人に献上したり、年中行事のごちそうになったり、そうめんは特別な日の食卓に並ぶ料理でした。

 中世
 鎌倉時代からそうめん作りが始まりました。
 そして、室町時代になると「索麺」や「素麺」の文字が使われるようになりました。
 このころからそうめんは、寺院の間食(点心)として広がりました。この時代に現在のそうめんの形、作り方、料理方法がほとんど形成されたと考えられています。
 文献にもよく登場するようになりますが、主な舞台は寺院や宮中の宴会などで、まだ庶民が気軽に食べられるものではなかったようです。

 ~小話~
 揖保郡太子町の斑鳩寺に残る寺院記「鵤庄引付」の応永25年(1418年)9月15日の条に「サウメン」の文字が出てきます。これが播州地方で最も古いそうめんの記述です。
 約600年も前からこの地でそうめんが食べられていることがわかる貴重な資料です。

 7月7日はそうめんの日
 平安時代の書物(延喜式)に七夕にそうめんを食べると大病にかからないと書かれ、宮中から一般に普及したと伝えられています。wwBC
うどんの具 byA.S
2022.06.07
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 うどんの具 作成者:1011tmge

 宮崎はうどんの単価が安いですよね。手軽に食べれるので、うどんを食べに行く人も多いと思います。
 具材も色々あり、人によってはこの具しか食べない!なんて人も居るかと思います。
 実は私、幼少の頃から、家族に連れられうどんを食べに行くことが多すぎたため、逆にうどんが嫌いになったパターンでして。出されたら諦めて食べたりはしますが、美味しいとも感じずずっと虚無で胃に入れてるって状態になります。

 私の話はこのへんで、うどんの歴史を紹介



 うどんとパスタの起源は同じ!
 うどんの起源は中国。
 シルクロードを渡って西へ伝わりイタリアのパスタになりました。日本では、うどん、そばとして広がっていったそうです。
 それぞれの土地の気候、風土によって少しずつ変化し、各地へ伝播されていったのです。
一口に「うどん」と言っても、庶民が日常的に食していたものもあり、お正月などハレの日のみに食されていたものもあります。稲庭うどんは、もっぱら献上品として食されていて、一般人の口には全くは入らなかったようです。

 香川のうどんは空海が伝えた!?
 香川県には、弘法大師空海が唐の国からうどん作りに適した小麦と製麺技術を伝えたという伝説があります。
 一方で、麺の伝来は空海の帰朝100年前の遣隋使、遣唐使の時代という通説もあります。

 うどんは、1000年以上に渡って讃岐人に愛されてきたようです。
 (はなまるうどんのサイト様参照)�

お味噌汁 by A.S
2022.05.30
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 お味噌汁

 日本人には馴染み深いお味噌汁。お味噌汁の具も地域にや家庭によって様々で、その分人の好みも多いと思います。
 皆さんは何の具が好きでしょうか?
 私は異質だと思われるかもしれませんが、小さい頃から納豆味噌汁が大好きです。市販であまり見なくなってしまい、家で作るとなると結構大変なんですよね。

では今回のお味噌汁についての歴史を...




 味噌はぜいたく品

 平安時代に初めて「味噌」という文字が文献に現れます。
 この頃味噌は今のように調味料として料理に使うものではなく、食べ物につけたり、
なめたりしてそのまま食べていました。

 また、地位の高い人の給料や贈り物として使われるなど、庶民の口には入らない貴重品でした。

 鎌倉時代に中国から日本へやってきた僧の影響で、すり鉢が使われるようになり、粒味噌をすりつぶしたところ水に溶けやすかったため、みそ汁として利用されるようになりました。
 みそ汁の登場によって「一汁一菜(主食、汁もの、おかず、香の物)」という鎌倉武士の食事の基本が確立されたと言われています。
 もともとは質素倹約を重視した食事とされていましたが、現代ではバランスの取れた食事のスタイルとして扱われています。

 味噌は戦陣食
 戦国武将たちは戦場での食料に必ず味噌を持ちました。
 当時、味噌は調味料であるとともに、貴重なたんぱく源でした。保存できる栄養食であったこともあり、干したり焼くなどして携帯しやすくしていました。
 武田信玄は「信州味噌」、豊臣秀吉、徳川家康は「豆味噌」、伊達政宗は「仙台味噌」というように、味噌づくりをすすめていました。
 (こちらmarukome公式サイト参照)
 
寿司のネタ by A.S
2022.05.27
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 寿司のネタ

 お寿司で一番食べるのはなんですか?私はサーモンです。
 言ってしまえば、ほとんどサーモンを食べに寿司屋に行っていると言っても過言ではないです。
 サイドメニューも豊富で、そっちもチェックしてしまいますね。

 では寿司の歴史をひとつ



 寿司の起源は東南アジアの熟鮓(なれずし)という発酵食品

 実は、寿司の発祥地は日本ではなく、東南アジアです。
 当時、山岳地帯に住んでいた民族が、入手困難だった魚を長期保存するための方法として編み出した、「熟鮓(なれずし)」と呼ばれる発酵食品が寿司の起源であると言われています。
 日本において、奈良時代には貢物として朝廷へ献上されていた熟鮓。現代における押し寿司や箱寿司に、当時の名残を感じますが、鎌倉時代へ突入すると、残り物の魚を利用した熟鮓が登場するようになりました。

 米酢が一般化した江戸時代中期には、発酵させる必要のない「早寿司」が誕生。
 待たずにすぐ寿司を食べられる時代の訪れです。さらに江戸時代後期になると、握り寿司が考案されましたが、おむすび並みの大きさであったため、切り分けて食べられていました。
 1皿に2貫盛る現代のスタイルは、当時の名残でもあります。

 製氷産業が盛んになった明治30年以降、漁法や流通の発展と相まって、これまで生の刺し身が扱えなかった寿司屋も、ネタを氷で冷やして保存できるようになりました。
 現代では一般的な、煮切り醤油をネタに塗って出す提供方法は、この時代に確立されたスタイルです。
 (こちらのサイト様参照)

 ずっと日本発祥だと思っていたお寿司が、実はそうじゃないという歴史。こうして調べなければ、死ぬまで日本発祥だと思っていたと思います。また一つ歴史を知りました。
 でも今のような寿司のスタイルは日本で作られた物ですから、日本のお寿司って言っても間違いではないですね。

 by A.S

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